人と研究(数理物質系/数理物質科学研究科)

宮本 雅彦教授 — モンスター単純群の研究

代表者 : 宮本 雅彦  
教授 宮本 雅彦(みやもと まさひこ)
所属 筑波大学数理物質系数学域
筑波大学大学院数理物質科学研究科数学専攻
研究室HP こちらをクリック

モンスター単純群の研究
1978年頃、物体の対称性を記述する群の基本因子である単純群がすべて発見された。その中にモンスター単純群と呼ばれる要素の個数が8 x1053を超えるとてつもなく大きな群が存在する。モンスター単純群に宇宙の真理につながるような何かが隠れていると信じる数学者は多い。

先生の研究内容を教えてください。
抽象代数学です。いわゆるモンスター単純群に関する研究をしていますが、研究内容を具体的に説明してもおそらく誰も理解できないでしょうね(笑)。数学には、世界でほんの一握りの人達だけが理解して研究を進めている分野がたくさんあります。私の研究分野もそのようなものの一つと考えてください。でも、そう言ってしまうと紹介にならないので、モンスター単純群といわゆる“ムーンシャイン”と呼ばれる現象について簡単な学部レベルの紹介をしましょう。
まずは「群」についてです。次のような三角形を考えます。

この三角形の姿を変えない動かし方(操作)をすべて考えてみます。

上の3つの操作(1),(2),(3)は、各点線を軸に180度回転(反転と呼ぶ)させたもので、下の3つの操作(4),(5),(6)は重心を中心として左回りに120度、右回りに120度、0度回転させたものです。
三角形の姿を変えない操作はこの6つだけです。この6つをまとめて「位数6の三角形の姿を変えない操作の群(ぐん)」と表現します。位数というのは群に含まれる操作の個数です。姿を変えない操作をすべて集めたので、ある操作の後で別の操作をしても上の6つの操作のどれかになります。これが群と呼ばれるために重要なことです。2つの操作で1つの操作を決めるので、2つの数 a, b から積 a×b を決める掛け算に似ています。数字の掛け算×を真似て操作の掛け算を記号*で表しましょう。例えば、B*Aは操作Aを行った後で操作Bを行ってできる動きを表します。群というのは掛け算のできる操作の集まりなのです。この掛け算を使うと、上の6つの操作を最初の反転 (1)と3つの回転 (6),(5),(4) だけを使って次のように表すことができます。

次のようにまとめることができます。

これらはさらに次のようにまとめることができます。

左の2つの操作 (1),(6)の集まりは、どの2つの操作を続けても(1)か(6)なので掛け算のできる集まりです。右の3つの操作 (4),(5),(6)の集まりも同じです。このように大きな群の一部分で群となるものを部分群と呼びます。上で示したことは、もとの位数6の群が、位数2の群と位数3の群の掛け算で表現されたことになります。部分群と呼ばれるもののうち、大きな群の中の操作を行った後で部分群の中の操作をし、その後に最初の操作をもとに戻す操作をしたものがすべて、部分群の中の操作と一致するような部分群を正規部分群と呼びます。例えば、3つの回転 (4),(5),(6)からなる部分群は正規部分群です。実際、反転をしてから回転をし、その後で反転をすると回転になっています。この位数3の部分群はそれ以上(掛け算の形に)分解することができません。このような群を単純群と言います。正確ではありませんが、イメージとしては素因数分解における素数のような感じですね。

さて数学者にとって、知られている無限系列以外の単純群が無限個存在するのか、というのは大きな命題でした。長い研究の末に有限個だと証明され、“Atlas of Finite Groups”という本にその全てが記載されました。そこに記載された単純群のなかに、位数8 x1053以上という、飛び抜けて巨大な単純群が記載されており、その大きさから「モンスター群」と呼ばれています。しかし、姿を変えない操作が8 x1053個以上ある物体とはというのは一体どんな姿をしたものなのでしょうか。

図 左から一つ目:“Atlas of Finite Groups”(John Horton Conway, Robert T. Curtis, Susan Potter Norton, R. A. Parker, R. A. Wilson).左から2つ目:“「有限要素群」村の冒険”(宮本雅彦).前半は群論の入門書としてわかりやすい.3つ目:“シンメトリーとモンスター”(Mark Ronan著.宮本雅彦、宮本恭子訳).
先ほどの三角形の回転は2次元平面で、反転は3次元空間の中でその動きを見ることができます。では、モンスター群の動きを見るために必要な空間で一番小さい次元はいくつかというと、なんと196883次元なのです。

とんでもないサイズの単純群が発見された興奮と同時に、私はひどく落胆したことを覚えています。全ての単純群が発見され、当時自分が取り組んでいたことが解決済みになってしまったわけですから。でも本当にエキサイティングなことはその後に待っていました。

群の研究とは別分野である数論に楕円モジュラー関数と呼ばれる非常に重要な関数があります。これは例えば次のような級数で特徴付けることができます。

j(q)=q-1+196884q+21493760q2+864299970q3+20245856256q4+⋅⋅⋅

この関数には面白い特徴があります。変数に対してある種の変形を行っても関数の形が元に戻る、という性質です。数学的にはこれを「関数が保型性を持っている」と表現します。
さて先ほどのモンスター単純群ですが、196883次元より大きな次元にも存在できることがわかっています。196883とあわせて下から順番に列挙すると、

196883, 21296876, 842609326, 18538750076, 19360062527, 293553734298, ⋅⋅⋅

です。これを順番に、a1, a2, a3, a4, a5, a6, ⋅⋅⋅ とおいて、
さらに  a0=1
としましょう。そして、次のように簡単な足し算をすると、
a0=1
a0+a1=196884
a0+a1 +a3=21493760
2a0+2a1 +a3+a4=864299970
3a0+3a1 +a3+2a4+2a5=20245856256


この後も続いて行きますが、これらの数字は先ほどのモジュラー関数の各項の係数と同じです。これはとても不思議なことです。モジュラー関数とモンスター群は全く別の概念から生まれてきたものだからです。この一致はとても偶然と言えるものではありません。数学者たちは、背後になにか宇宙の真理に迫るようなものが隠されているに違いないと考えました。John H. Conwayという数学者は、この予期せぬ一致を “きっとどこかに太陽のような巨大な光り輝く天体があるに違いないが、我々には月に反射しているその光だけが見えているのだ” と比喩し、この現象を「ムーンシャイン」と名付けました。現在、この現象はモンスター群が作用している無限次元の空間の不思議な構造に起因していることが分かっています。私の研究テーマは、このような無限次元空間の構造を調べ、モンスター単純群の真の姿を見つけることです。

先生の考える抽象数学の価値とはなんでしょうか。
いわゆる実用数学の価値は理解しやすいですね。実用性です(笑)。実用数学は工学における言語とも言える地位を得ていて、それはわかりやすい価値ですね。でも群論のような抽象数学の価値は実用の観点では説明がしにくいですね。実用は早いほど価値が高いです。遅く出てきたら陳腐化していますからね。でも抽象数学の研究者は、理解されるのが後年であればあるほど価値が高いと考えています。100年後にやっと理解されたなどは最高で、皆それを目指しています(笑)。ということは、少なくとも意識としては実用のため、とは思っていないということですね。芸術のように、数学の価値を“美しさ”だという人もいます。対称性、規則性、簡潔さ、リズム感などが数学の美しさであると。でも、数学の美しさは数学的な美としか言いようがなく、例えば、歴史に耐えうる骨董品の美しさに近いかもしれません。実際に困難な証明を試みて成功した時は、確かに“美しい”と感じます。

抽象数学の研究命題はどのような要求から生まれてくるのでしょうか。工学系は実用性、数学以外の理学系は学理の理解という比較的わかりやすい要求がありますが。
そのようなわかりやすい要求は、少なくとも抽象代数学には無いですね(笑)。だからというわけでは無いですが、人間の知的興味を沸き立たせる命題を設定すること、そのこと自体がことのほか大きな価値として受け入れられますね。数学というのは人間の頭脳が作り出す、それ自身が完結した世界です。頭脳の外に設計図があるわけではなく、こういうものを作れという指針があるわけでもありません。ただ、出来上がった世界は間違いなく人類にとって宝と言って良いものです。

この世界のどこかにリアルな数の世界がある、という話を数学者から聞くことがあります。先生はどう思われますか。
それは数論の人たちのコメントですね。まぁ、わからなくはないですが、私は信じませんね(笑)。でもひょっとして、と思わないわけでもない。例えば宇宙史は、時代を遡って行くと136億年前のビックバンで終わり、それ以前は無です。したがって時間の境界を意識せざるを得ない。物質科学では、対象の多くがイメージで見えますから、空間の境界を常に意識するでしょう。でも、数学には時間の境界も空間の境界もない。ビックバン以前も1、2などの数は存在していたはずだし、この壁の向こうに数は存在しないという境界もない。それは数学が観念体系だからと言われるかもしれませんが、コンピュータのように数の羅列をリアルに変換して提示しているものはたくさんあって、実際に触れることができる。だから数の研究を続けるうちに、現実の世界と数の世界の境界が曖昧になって、数の世界もリアルだ、と錯覚する感覚はわかる。あれ? 僕も信じているのかな(笑)。

数学研究の手法とはどのようなものでしょうか。
紙と鉛筆ですと答えると受けますね(笑)。それ以外に数学では他の研究者と議論することが他の研究分野に増して重要です。議論を通じてお互いに重要な気づきを与えられるからです。その意味で、数学における研究コミュニティーはとても大切なもので、実験系の研究における実験室と似ています。

少し話が変わりますが、昨今サイエンスの世界は研究不正が数多く報道されるようになりました。しかし数学には研究不正がほとんどありません。これをどう考えますか。
どの分野でも職を得るために不正をする人はいます。数学が少ないというより、他の分野で増えたと捉えるべきかもしれません。それには自然よりも人間を対象にした研究が増え、さらに昨今の成果認証の変化が関係していると思います。もともとサイエンスでは、研究者仲間での評価が重要なので、追試できるように研究者コミュニティーに情報を開示して、他研究者の追試/理解を待ち、追試/理解できたものだけが事実と認められ、成果となる、という自立した認証プロセスが標準でした。事実と認められなければ忘れ去られて終わり、ゼロです。だからデータを不正に操作する強い動機は持ちようがなかった。気の長いシステムですが、堅実なエコシステムとして機能してきました。ところが最近になって他研究者の追試/理解を受ける前に、高い評価を得る仕組みが出現してきました。マスコミ、研究資金提供者、商業誌、企業などです。資金を得るなど良い面もありますが、同時に時間に追われ、不正をする動機が生まれた。前述の通り、数学では、良い結果は理解されるには時間がかかる、という価値観があります。他の研究者が正しいと理解して初めて成果になるのです。数学者は決して無理に判断を急ぎません。これはもともとのサイエンスの成果認証プロセスそのものです。もう一つは数のもつ厳密さです。数には他の研究分野の研究者が相手にせざるを得ない“ばらつき“も”個体差“もありません。数字の1は他者にとっても厳密に”1“であって、解釈の曖昧さがありません。誤魔化してもバレます。

先生が数学の道に進まれた理由はなんでしょうか。
気がついたら進んでいた、というのが実感ですね。多分、小学校の時に父に買ってもらった数学事典が数学への第一歩だったと思います。それと、大学に進学し、難しい数学に取り組んでしばらくの間、抽象概念が理解できずにいた時期もありましたが、教科書を我慢して読み進めていると、ある時すっと理解できた瞬間がありました。一度理解できると、不思議とすらすらと新しい概念も理解できるようになったのです。きっと脳の回路が数学的になったのでしょうね。それ以来、自分にとって数学は極めて自然なものでした。自然な感覚で付き合い続け、今に至るという感じです。これからも同じように続くだろうと感じています。

数学を目指す若者にアドバイスをお願いします。
好奇心が大事だということは他の研究活動と同じです。その上で数学を楽しめる人に来て欲しいですね。数学を楽しめる性格とは、解けない状態を楽しめる性格ですね。数学では解けない問題に何年も取り組むことは普通です。性急に解を求める性格だときついでしょうね。すぐ解けてしまう問題もありますが、そういうのはつまらないものです。いろいろなアイデアを考え、試して失敗したり少し進展したり、そんなことを楽しめたら良いですね。それと思考体力がある人が向いています。私は寝ているあいだ夢は見ない方ですけど、数学を解こうとする夢は見る。実際は寝ぼけているのかもしれませんけど、意識としては24時間考え続けている気でいますよ(笑)。