聴(Tsukuba Communications)

血管の異常を引き起こすシグナルを探して 細胞と細胞外環境とをシームレスに捉える

生存ダイナミクス研究センター 柳沢 裕美(やなぎさわ ひろみ)教授

生きている限り、絶え間なく身体中に血液を送り続ける血管。そこに異常が生じると、命の危
険に直結します。特に、血管が大きく膨らむ大動脈瘤は、決して珍しい疾患ではないのに、自
覚症状はほとんどなく、破裂して手遅れになってしまうことが多いのがやっかいなところです。
大動脈瘤がどのように発生し、進行するのか、そこに関与するシグナルが血管の細胞に伝わ
るメカニズムを明らかにすることで、予防や治療への道を拓きます。
■ 細胞と細胞外マトリクス
通常は直径20mm程度の大動脈が、こぶ状に1.5倍以上にまで膨らんだ状態が大動脈瘤です。大抵は破裂するまで症状がなく、健康
診断や別の病気の診察で超音波やレントゲンなどの検査を受けた際に、偶然見つかることが多い疾患です。いったん見つかれば、薬剤で血
圧をコントロールして悪化を抑えたり、患部を人工血管で置き換える外科的処置が可能ですが、自然に治癒することはありません。高脂血
症や喫煙などの生活習慣が原因の一つと言われているものの、詳しい発生メカニズムはまだわかっていないのが現状です。
血管は、内側から、内皮細胞、平滑筋細胞、線維芽細胞の3層構造でできています。しかしそれだけで独立しているわけではなく、弾性繊
維など細胞の外の組織とも結び付いていて、その影響も受けざるを得ません。とりわけ大動脈は、血液を流し続けるために、常に力学的な
刺激を受ける、つまり伸び縮みを続けており、弾性繊維との結び付きが重要です。大動脈瘤ができる原因には、遺伝的な要素や、細胞その
ものの異常の他に、細胞外の組織とのつながり方に問題が生じているケースもあるのです。
ですから、体内の異常、すなわち病気を扱うとき、細胞と細胞外環境(細胞外マトリクス)を分けて考えるのではなく、一続きのものとして
捉えなくては、その全容を理解することはできません。互いにどのように結合し、どのようなシグナルをやりとりしているのかを探り、
そこから大動脈瘤の発生メカニズムを解明しようとしています。
■シグナル伝達経路を見つける
研究は、胸部に大動脈瘤を発生するマウスモデルを使って行います。瘤発生の初期、成長過程、破裂、の各フェーズで、どのようなシグ
ナル、因子が働いているかを、一つずつ明らかにしていきます。発症のきっかけが異なれば、成長や破裂のしかたも変わります。
大動脈瘤が発生する前、発生中、発生後の血管について、それぞれタンパク質の分離・同定を行い(プロテオーム解析)、様々な因子
の変動を調べます。その因子は3 5 個ほど。そのうちの一つ、コフィリンというタンパク質に着目し、解析を進めたところ、これが活性化す
ると、細胞骨格をつくるアクチン繊維が断裂し、大動脈瘤ができることがわかりました。
このようにして、大動脈瘤発生のシグナル伝達経路の一つが特定されたわけですが、他の研究グループは、これ以外にもいくつかの要因
を示唆しています。残る因子の解析や他の要因などをさらに詳しく調べて行く、地道な研究が続きます。
■ 研究環境を生かして
医学研究では、マウスでの研究結果が、ヒトに対しても適用できるかを確かめることはとても重要です。最近、大動脈瘤発生因子としてもう
一つ発見した、トロンボスポンジン1というタンパク質については、附属病院の心臓血管外科と協力し、実際の胸部大動脈瘤患者の手
術の際に、病変部組織を提供してもらい、およそ4年をかけて、その解析を80症例ほど行いました。
その結果、トロンボスポンジン1が、ヒトの大動脈瘤患者でも高発現していることが確認されました。また、血管に対する周期的な伸展刺
激(機械的な伸び縮み)がこのタンパク質の発現を誘発している(メカノトランスダクション機構)こともわかりました。もちろんそれだけで、マ
ウスと同様に、ヒトにおいても大動脈瘤発生の因果関係を断定することはできませんが、このような基礎研究と臨床のコラボレーションが実
現できたのは、筑波大学ならではの研究環境があってこそと言えるでしょう。
■ 血管への興味
もともとは、基礎研究と臨床の両方にじっくり取り組みたいと、血液内科を専攻していました。アメリカへ渡って研究を始めた頃に、遺伝
子工学という新しい学問領域が登場し、その中で、神経堤細胞発生の研究として血管を扱うようになりました。非対称に広がる大血管は、
胎生期に目まぐるしくそのパターンが変わっていきます。その様子に興味を持ったのが最初でした。研究室を移って、皮膚がたるんだような状
態になる疾患(皮膚弛緩症)の研究に携わると、細胞外マトリクスである弾性繊維が研究対象になりました。
大動脈瘤の研究を進めるきっかけとなったのは、2002年に発表した研究成果でした。細胞外マトリクスの一つ、フィブリン5が欠損して
いると、弾性繊維の形成に異常が生じることを発見したのです。これにより、皮膚を支える力が弱まって、皮膚弛緩症を発症するのですが、弾
性繊維の異常は、それだけではなく、血管との結合にも影響を及ぼし、特に大動脈瘤を引き起こす要因になっていることがわかりました。
循環器の病気はたくさんありますが、実はその中で血管を専門に研究をする人は、それほど多くはありません。血管の研究も、メインストリー
ムは動脈硬化。だからこそ、誰にでも発症する可能性のある大動脈瘤は、価値のある研究テーマです。
■ 一歩ずつ、新しい領域へ
生体や病気に関する研究を突き詰めていくと、どうしても分子レベルの細かい構造やメカニズムに行き着きます。しかし一方で、体の中では、細胞
外にあるマトリクスが細胞表面につながり、それがさらに細胞骨格につながり、というふうに構成されており、一部分だけを切り離して考えることはで
きません。血管に関しても、血管壁で起こっていることを、細胞と細胞外マトリクスを含めた一つのユニットとして捉えることが不可欠です。
そうなると、ある病態に関与する因子は、複雑になっていくのかもしれません。それでも、それらを一つひとつ、きちんとステップを踏んで、様々な
方向から追っていくことが基礎研究です。今わからないことを明らかにし、それを積み重ねていった先に、予防や治療への道が見えてきます。
長年、血管の研究に取り組んできましたが、まだ手がつけられていない領域があります。それは脳血管。脳は、他の器官とは異なる独特
の仕組みを持っています。細胞外マトリクスの考え方も、脳においては違った捉え方が必要です。神経系など、これまでの専門分野ではカ
バーしきれない部分もありますが、この新しい領域に踏み出し、全身の血管のことを知る。それが、これからの目標です。