筑波大学生物学類教員紹介

調べるのは細菌のこと、知りたいのは人のこと

代表者 : 中村 幸治  

中村 幸治先生

中村幸治教授は細菌を用いたゲノム解析を専門としています。しかし、細菌それ自体を好んで研究しているのではありません。先生は「人」の理解を目指しています。今回のインタビューを通して垣間見えた、先生の「本当に知りたいこと」を紹介したいと思います。

したたかで献身的な枯草菌

 ウイルスの感染に悩まされる生物は決して私たちだけではありません。鳥、昆虫、植物そして細菌にさえもウイルスの感染はやっかいなものなのです。細菌に感染するウイルスは特に「バクテリオファージ」または単に「ファージ」と呼ばれています。細菌はファージの感染による死滅を避けるために、様々な防御機構を獲得してきました。

 中村先生は現在このような細菌のファージに対する防御機構に関する研究に取り組んでいます。先生は特に枯草(こそう)菌(きん)と呼ばれる細菌を用いて研究を行っています。枯草菌ゲノムにはファージに由来する領域が含まれていますが(図1)、当初その機能はよく分かっていませんでした。先生はこの領域に着目し、ファージに対する防御機構に関与していることを見出しました。枯草菌はファージから獲得した遺伝子を利用し、別のファージの感染から身を守っていたのです。

DNA(またはRNA)を細菌体内に送り込むことで感染する(左)。ファージDNAは通常好ましくないが、時に細菌ゲノム内に取り込まれ、無害な状態でそのまま次世代にも伝えられることがある(中央/右)。 97年の全ゲノム決定により枯草菌がその進化の過程でファージDNAを取り込んでいたことが分かった。

 先生が研究に用いる枯草菌のゲノムにはSPβファージに由来する領域があり、この領域にはnonAという遺伝子がコードされています。枯草菌はファージからnonAという遺伝子を獲得したと考えられています(図1)。この遺伝子は通常発現が見られないのですが、SP10と呼ばれるファージが感染すると発現します(図2)。SP10ファージの感染によりnonAが発現すると、細菌自身は増殖を停止するなどして死んでしまいます。しかし、感染した細菌が死ぬことで、結果的に周囲の細菌へのファージの感染拡大を防ぐことができます。利他的とも言えるような非常に興味深い防御機構を枯草菌は持っていることが明らかになりました(図3)。このような機構には依然不明な点が多く、さらなる研究が続けられています。

 

 

 以上のように中村先生はこれまで枯草菌ゲノム上の様々な未知の機能を明らかにしてきました。しかし先生は枯草菌それ自体の理解や、医学的あるいは工学的な応用を目指しているわけではありません。先生が本当に知りたいことは「人」なのです。

細菌を調べれば人が分かる?

 中村先生は自分がどのようにして息をするのか、なぜ心臓が動くのか、人とは何なのだろうか不思議に感じてきたそうです。人と様々な議論を行うことに楽しさを感じ、人が唯一好きな生物であると話します。しかし先生は人を理解する上で細菌の研究が不可欠であると指摘します。

人の体内には腸内細菌などおびただしい数の細菌が暮らしています。私たちは細菌との適切なバランスのもとで健康に生きることができ、細菌は人に欠かせない存在であると言えます。また細菌と人はいずれもDNAを持ちます。DNAは遺伝物質として両者に共通していて、その機能が類似している場合も少なくありません(*1)。細菌の生活や遺伝情報についての研究は細菌そのものの理解だけに留まりません。

この考えのもと先生は枯草菌を用いて行う研究を人の理解を目指した研究であると位置づけています。さらに先生は生物の「一様性(*2)」を重視し、細菌の研究のみならず全ての生物学的な研究が人の理解へと集約できると考えています。

 

*1: 実際今日知られている遺伝子の機能などの知見は細菌を用いた実験により得られところが大きい。DNAが遺伝物質であることを示した実験にも細菌が用いられている。例えばハーシーとチェイスの実験(1952)では大腸菌が使われている。

*2: 生物には植物や動物、菌類、細菌に至るまでさまざまな「多様性」が見られる。一方で、遺伝物質がDNAである、ATPを合成するなどといった「一様性」のもとで生物をひとくくりにすることもできる。

全ての研究は人へ、自分へ

先生は筑波大学生物学類の出身ですが、もともと物理や化学が好きで、特に生物を好んだわけではないと言います。むしろ生物の多様性を主題にした授業に興味は傾かず、嫌気がさすほどだったと当時を振り返ります。漠然とした多様性について何を勉強すればよいのか分からず、自分は一体何に興味があるのか図書館をさまようこともあったそうです。

そうした中で、大学2年のときに化学の授業で先生は1冊の本に出会いました。その本はライナス・ポーリングの著した『化学結合論』(共立出版,1962)でした。その本にはDNAがどのように二重らせん構造をとるかといった物理学的、化学的な説明がなされており、先生はその本を通してDNAに感動を覚えました。遺伝物質であるDNAは、化学にとっての周期表、物理学にとっての運動力学のように、生物学の共通言語として用いられることに気付きました。それ以降、先生は生物の多様性ではなく一様性に魅せられてきました。

生物学は様々な分野に細分化されています。けれども先生はそれらがDNAのもとで結びつき、最終的には人の理解に何らかの形で貢献すると考えています。先生は生物学を人、つまりは自分自身を知るための学問として捉えているのです。

 

【取材・構成・文 生物学類3年 山川隼平】

PROFILE

 

中村幸治 教授

生命環境科学系教授
1989年筑波大学生物科学研究科博士課程修了
ゲノムの機能や構造を解説する「ゲノム生物学」の授業は分かりやすく学生の間でも人気が高い。筑波大出身で「ねっしー・自然教育研究会」の創始メンバーでもある。
HP:http://nc.bsys.tsukuba.ac.jp/nakamura