筑波大学生物学類教員紹介

両親のしるしを探し出す

代表者 : 谷本 啓司  

谷本啓司 教授

私たちは両親からそれぞれ1つずつの「生命の設計情報」をもらっています。設計情報には父母のどちらからもらったものかの「しるし」が付いています。谷本啓司先生は、この「しるし」の正体を明らかにするために研究を続けています。今回は先生の研究室におじゃましました。

ナポレオンの愛した「ラバ」?

 ルイ・ダビットの描いた「サル・ベール峠を超えるナポレオン・ボナパルト」という絵画をご存知ですか?大きな白馬に乗って天を指差すナポレオンの姿を描いた絵画で、一度は見たことがあるという人が多いと思います。実は、この絵画、少し「うそつき」。後に、史実に沿って描かれたという、ポール・ドラロッシュ作の「アルプス超えのナポレオン」では白馬ではなく、ずんぐりとした動物に乗っています。ナポレオンは、白馬ではなく、「ラバ」に乗っていたのです。 

 

2つのナポレオン絵画
左は「サル・ベール峠を超えるナポレオン・ボナパルト」、右は「アルプス超えのナポレオン」。右の絵画でナポレオンがまたがっている動物が「ラバ」です。

「ラバ」は、オスのロバとメスのウマの間に生まれる動物です。実はこのラバ、オスのウマとメスのロバの間には生まれません。お父さんとお母さんの種類が入れ替わると全く別の「ケッテイ」と呼ばれる動物が生まれてきます。 

両親から私たちへ、受け継がれる設計情報

私たちのように、両親をもつ生き物は、お父さんとお母さんから「ゲノム」と呼ばれる「生き物の設計情報」を1セットずつ受け継ぎ、この2セットの設計情報をもとにして生まれてきます。この設計情報を伝えるのは、DNAと呼ばれる、たった4種類の化学物質の連なりです。科学者たちは、両親から受け継ぐ設計情報には細かな違いはあるものの、お父さんからのものか、お母さんからのものかを区別できるような違いはないと考えていました。 しかし最近になって、この設計情報に父方のものか母方のものかを見分ける「しるし」が付けられていることが発見されました。この設計情報への印付けは「ゲノムインプリンティング」と呼ばれおり、「ラバ」と「ケッテイ」の違いが生じるのは、設計情報への印付けが原因と考えられています。

「メチル化」が印の正体

設計情報への印付けが行われるのは、お父さんであれば精子、お母さんであれば卵子を作る時。両親が共通して持つ設計情報の「特定の区画」に印が付けられます。その後、印は子供に設計情報が伝わってもそのまま残り、設計情報が父から来たものか、母から来たものかを判断するための材料になります。この区画は近年になって発見され、研究の結果、印の正体は設計情報へのメチル基の結合であることがわかりました。この結合のことを「メチル化」といいます。 

印をつける犯人を探せ!

印の正体が解明され、次に浮かんだ疑問は「精子や卵子の中で、設計情報の「特定の区画」に印を付けるか、付けないかはどのようにして決まるのか」ということ。多くの研究者は代表的な「特定の区画」である「H19-ICR」という部分に着目しました。「H19-ICR」は、精子だけで印付けがされます。「H19-ICR」それ自身、又はその近くに位置する区画が、印付けの違いを生んでいると考えた研究者たちは、我先にと印付けを指令する「犯人」探しに乗り出したのです。筑波大学の谷本先生も、そのうちの一人でした。

「犯人」探しは予想外の結果に

谷本先生が最初に調べたのは、「犯人」が「H19-ICR」の周辺にいるのかどうか。オスのマウスの設計情報に、他のマウスから切り取った「H19-ICR」をランダムに組み込み、組み込んだ「H19-ICR」に印がつくかどうかを観察しました。 通常、「H19-ICR」には精子で印が付けられ、それは受精後、子供にまで引き継がれます。「犯人」が周辺にいるのであれば、周辺に「犯人」がいない場所に組み込まれた「H19-ICR」、つまりオスのマウスの「H19-ICR」には精子で印がつかないはずです。 

 

設計情報を壊す方法と加える方法の概略。
左上が壊す方法、左下が加える方法です。マウスの設計情報を加工した後、「H19-ICR」という区画に印がつくか、付かないかを観察します。画像をクリックすると大きくなります。

観察の結果、設計情報に加工をしたオスのマウスから取り出した精子では、「H19-ICR」に印付けが、つまり「メチル化」がなされていませんした。このことから、「犯人」は「H19-ICR」の周辺に潜んでいたことがわかりました。

しかし、その精子が受精をし、設計情報が子供に引き継がれると、不思議なことが起こりました。印がついていなかった「H19-ICR」に印が付けられていたのです。

 

実験の予想と結果  
実験の予想と結果を記しました。左下が、「メチル化が印である」という考えをもとにした実験の予想。右下が実際の実験結果です。予想とは異なり、精子でメチル化がなされていなくても、子供の設計情報に印付けがされることがわかりました。

「メチル化」じゃない?印の正体は別のもの

両親の設計情報が子供に伝わる際、父と母の区別をするための印付けであるとされてきた「メチル化」。それが付いていないにもかかわらず、子供に伝わった設計情報には両親の区別がついていました。子供の中で、両親からの設計情報を区別する印は「メチル化」で間違いありません。ところが、精子の段階での「メチル化」は、印付けに必要不可欠ではなかったのです。 「精子や卵子の時点で付けられる、必要最低限の印は「メチル化」ではない別の何かだ」と谷本先生は話します。判明したのは、精子の中で「メチル化」がなされていなくても、印となる「何か」さえついていれば、受精した後に子供に伝わった父方の設計情報には、「メチル化」による印がつくということ。この従来の説とは異なる事実に、多くの研究者が驚きました。 

なにが知りたい?真実を追求する

現在、先生は設計情報に付く「何か」を探しています。谷本先生の研究の原動力は、生命の仕組みへの飽くなき興味。
「研究をするにあたって重要なのは純粋な好奇心です。本当のことを知りたい」と谷本先生。先生はこれからも好奇心に身を任せて、真実を知るために研究を続けていきます。

もっと知りたいという方へ~先生からおすすめの本を紹介~
九州大学・佐々木裕之先生
「エピジェネティクス入門 –三毛猫の模様はどう決まるのか(岩波科学ライブラリー)」
佐々木先生は、日本のゲノムインプリンティング研究を代表する研究者の一人です。

【取材・文 生物学類3年 倉持 大地】

PROFILE

 

谷本 啓司(たにもと けいじ)教授
筑波大学生命環境系

94年に筑波大学大学院博士課程終了。アメリカ合衆国ノースウェスタン大学での博士研究員を経て、12年同大教授となる。生徒からは応用生物化学実験での指導に代表される愛のあふれる厳しさで有名。

HP:http://www1.accsnet.ne.jp/~tanimoto/Keijis/Welcome.html