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#066:人々の暮らしをかたちにする建築デザイン(2016.10)

#066:人々の暮らしをかたちにする建築デザイン

 

芸術系 貝島 桃代 准教授

 東京都心育ちのモモちゃんは夢見る少女でした。愛読書は『赤毛のアン』。本を読みながら、登場人物の住む家の間取り、家具の配置、玄関前のアプローチ、家の周りの景色、地形、村の風景などを頭の中で想像し再現しては楽しんでいました。「日本昔話」などを読んだり聞いたりしても、村の様子、地形、山道や川の様相などを想像していたそうです。そんな家好き、町好き、暮らし好きが高じて、大学では住居学を学びました。そして建築を本格的に学ぶために、工学系建築学科の大学院に進学しました。

 貝島さんが大学を卒業し、建築家を目指そうとしたところで日本経済のバブルが崩壊。時間がぽっかりと空き、バブル時に建てられた建物やそれ以前からの建物などを観察する時間が出現しました。東京を歩き回って特色ある建築物を探索し、都市の中の意匠としての建築という観点からその成果をまとめ、2001年に『メイド・イン・トーキョー』という書名で出版しました。その過程で、土地だけではなく、時代の様相も建築の形を決めていること、建築の“形”が大切なことを再確認し、実感したといいます。

 2000年に筑波大学に着任。都市近郊や田舎の小規模集落の住まいや空間にも興味関心が広がりました。2008年から取り組んだ大きなプロジェクトは、埼玉県北本市JR北本駅前西口広場の改修計画。落下傘のように計画を押し付けるのではなく、まず住民による街づくりワークショップの立ち上げから始めました。大学研究室としての役割は、アドバイザーであると同時にファシリテーターであること。住民が抱いたアイデア、思い描くイメージを実現する手助け役です。芸術系に所属する建築デザイン研究室の強みは、絵を描ける学生がいることだといいます。「北本らしい“顔”の駅前つくり」と題したこのプロジェクトでも、住民のワークショップで出たアイデアを学生たちが絵や写真、模型で表現して提示することで、議論がさらに進みました。

 市民と北本駅前広場の改修後の使い方を話し合う「つかう会議」

 2011年からは、東日本大震災の復興支援をする建築家のネットワーク、アーキエイドに参加し、高さ16メートルの津波に襲われた宮城県石巻市牡鹿半島の漁村復興支援にあたっています。この地区は、沖合で寒流と暖流が交差し、そこに北上川の水が流れ込む絶好の漁場に恵まれており、リアス式海岸を利した漁港と養殖場なども設置されてきました。しかし大津波によって家も船も施設も流され、漁業ばかりでなくコミュニティの機能まで壊滅的な打撃を受けました。

 貝島研究室では、復興支援の手始めとして住民の聞き取り調査から始めました。それでわかったのは、牡鹿半島といっても浜ごとに気風もライフスタイルも、漁の様式も異なるということ。したがって画一的なプランを提案しても実効はありません。そして復興の鍵は何と言っても住民の意志と意欲です。そこで住民会議にあたる組織をつくってもらい、その内側に入り、よそ者の視点で支援する体制づくりを目指しました。福島大学教授の阿部高樹さんが言う、「アウトサイダー兼インサイダー」の役割に徹したのです。そうした中で、コミュニティの中心となるコアハウスを提案したり、新たな住民を呼び込むための漁師学校の設立などを実現しました。さらには、海だけでなく背後の山にも目を向け、廃道と化していた金華山に抜ける山道を復活させて観光トレイルに育てる、海に栄養素を運んでくれる森を育てるための林業を復興させるといった提案にも結びつきました。これらのアイデアも、住民会議で出た意見を絵にして可視化し、次の会議でさらに膨らませるという作業を繰り返した結果です。厳しい自然に対峙してきた漁師の人たちは、学生にも厳しく接してくれます。こうしたプロジェクトに参加することで、参加した学生も大きく成長するのです。

 漁業に限らずいろいろな伝統的職種の知恵や技が失われつつあります。あるいは、コミュニティの崩壊は、被災地だけでなく、都市でも起きています。貝島さんが思い描く構想は、建築そのもののデザインからコミュニティの伝承や復活にまで広がっており、その持続性を通じて、21世紀の社会のあり方を考えていきたいと思っています。

 浜の将来を考える牡鹿漁師学校の授業

 住民意向調査を基に浜の将来図を描く

 牡鹿漁師学校では「浜づくりのレシピ」の実現
 と試食会も開催

(文責:広報室 サイエンスコミュニケーター)

(2016.10.18更新)